三途の川展図録 さいたま川の博物館

平成11年に開かれた「三途の川展」の図録を最近手に入れることが出来ました。

さいたま川の博物館(かわはく)link
埼玉県大里郡寄居町小園39
三途の川展link

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開催されていたときに行きましたが、運悪く図録がなくなっていて、手に入れることが出来ませんでした。

この時、日本人に三途の川の根源となる意識は、なんと縄文時代にさかのぼることを知りました。
三途の川の概念につながる遺跡「奥三面遺跡」があります。
人が住む集落と墓地との間に人工の川が掘られています。
三途の川と言う言葉は無くとも、それにつながる意識があったようです。

さらに日本書紀には伊弉冉尊が黄泉の国から帰ったとき、この世とあの世の境で禊ぎをしたとあり、境界としての意識があったようです。

この奥三面遺跡群には環状列石があり、三内丸山遺跡と同じ様な掘立柱建物跡が発掘されています。

インドにおける地獄の世界観は、中国に伝わり道教とも結びつきます。
日本においては、往生要集の中で地獄が語られ、特に江戸時代に江戸庶民に関心が高まりました。

しかし、三途の川は往生要集にも書かれていません。
仏教に取り入れられたのは、唐の時代に蔵川が著した偽経が最初で、奈河とありますが、三途の川となった考えられているとのことです。

縄文、弥生からの古い意識と仏教が結びつき、三途の川となったようです。
三途の川は橋で渡ったり、船で渡ったりで、いろいろな説があります。
江戸期にたくさんの印刷物が出回りましたが、正式の仏典に準拠していないため、色々な説があるようです。

また、賽の河原は室町時代の御伽草子「富士の人穴草子」に初めて出てくるのですが、三途の川の関係は明らかで無いようです。

奪衣婆に関しても記されていますが、江戸末期に人々のあらゆる願いを叶えてくれる流行神となった事がありました。
江戸っ子の粋な意識が面白いと感じました。当時の錦絵にあまりも多くの人の願いに、奪衣婆の困った顔が面白いです。奪衣婆画像link


以前書いた群馬県甘楽町の三途川ブログです。
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甘楽町宝勝寺前の三途川
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姥子堂(うばごどう)の奪衣婆(だつえば)
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私の廻りには臨死体験で三途の川を見た方が三人います。
さらに数十年前には二人の方が見たと言っていました。
本当に三途の川を見たのか、脳の作り出した幻影かは、私には分かりません。
日本人の古くから伝わった意識が関連することは理解できます。

私は見た方のほとんどが、三途の川の向こうはお花畑だったと言っていました。
ほとんどの人が「私は死が怖くない」と言っていました。

来世が暗い世界で無く、明るく豊かな世界だと意識し、旅立つことが出来ると思うことにしています。

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