静岡の戒名・上座の一考察

以前静岡の曹洞宗のお寺さんから近在の霊園に引墓をされたA家の開眼納骨供養を依頼されたことがありました。
Aさんはお父さんの戒名「○○△△上座(じょうざ)」の上座位が納得できなかったようです。自分でも前のお寺の御住職に聞いたり、図書館で調べても、分からないことばかりで困っていました。
信士と居士の間のようで すが、どのような訳で使用されるようになったのかは、御住職も知らなかったそうです。
埼玉でも私の知る限り2例ありますが、使用されたのは江戸時代のみです。入間市の真言宗豊山派寺院檀家だった○○家(現在は飯能市在住・他の寺の檀家)と飯能市の真言宗智山派寺院の檀家△△家です。調べればもっとあると思いますが、他に聞いたことはありません。(ネットで調べると他にもあるかもしれません)
  
共に江戸時代はかなりの家柄だったようで○○家は大庄屋、△△家は名字が字(あざ)名になっており、△△大尽と地元の方に言われています。共に戒名としては一例のみのようです。  

埼玉での二例は特別な戒名であり、別格であったことが想像されます。静岡でも本来は別格の位号だったのではと思います。
  
曹洞宗では得度をすれば上座なのだそうですが、曹洞宗の僧侶の墓石に上座と彫られているのを見たことはありません。

ではどのような訳で「上座」が使われたのでしょう。ここからは想像でしかありません。
   
江戸期に士農工商の身分制度を戒名にも対応させるため、幕府から戒名の位に対し、文化3〔1806〕年にお触れが出ました。
身分にかかわらず武士階級以上の戒名の位号を授与される人がいたため、階級により位号を制限するための施策でした。

上座のある地区は幕府の影響の強い地区が多いようです。影響の少ない地方の藩では、そこまで影響はなかったのではないでしょうか。
隣接する長野県、山梨県では、現在では院号居士の戒名がほとんどの地区が多いようです。
当寺の檀家さんの場合、長野、山梨出身の分家さんがありますが、「信士・居士」では、ご実家が納得せず、困ったことが何度もあります。
   
戒名・上座位は埼玉の二例のように使用されない「上座」が抜け道として使用されたのではないでしょうか。上座はじょうざであり、かみざであるわけです。他の人とは違うぞという位号です。
本来なら居士以上の位だったと思います、現在ならば、院号居士なみか、それ以上の位号だったのではないでしょうか。
ちなみに女性は、上姉、又は尼上座のようです。
   
埼玉では数が少なく、消滅してしまい。静岡・愛知では多少多く使用されたために、明治以降も一部の地区で残ったのでしょう。そして居士・院号を使用できる時代になると静岡では、上座の位が居士より下になったと想像しています。
※現在の上座戒名は曹洞宗ばかりと思っていましたが、浄土宗でも使用させているそうです。
これらのことをAさんのお母さんの葬儀の折り、親族の前でお話ししたところ、引墓に反対していた方々も、批判が一切無くなりました。
逆に感謝され、喪主さんも救われたとのべていました。
この時用意した戒名のメモが、いつの間にか通夜の前にコピーされ参列者全てに配布されていました。
それが今の「戒名の説明書」の元にになっています。
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私にとっては記念すべき日になったわけです。
「上座」の戒名を使用しているお寺はわずかです。
この戒名を授与されたい方は、そのようなお寺さんからのみ授与されるべきだと思います。
ネット、葬儀社に依頼しないようしましょう。(※全ての戒名も同じです)
追記 他の宗旨にもあるようです。
追記 入間市野田の共同墓地に「上座」の戒名があることを教えていただきました。江戸時代の他の戒名は、禅定門・禅定尼でしたから、お寺に尽くした方であったことが、想像されます。
追記 深谷市(元岡部町)にもありました。
追記 「戒名探偵 卒塔婆くん」出版社KADOKAWA
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でも買ってください。
上座の戒名の謎がも、これを読めば理解しやすいでしょう。
昔の僧侶も知恵を絞っていたのです。

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