東京の平将門を祀る寺社
この資料は、『妙見菩薩・平将門』PDFで掲載している資料の一部です。

資料集 リンク
平成15年より諸資料、インターネットを利用して調べてみました。
資料全体は、日本全国を対象にしています。
平将門
下総北部を地盤としていた平将門(まさかど)は常陸(ひたち)西部に館をもつ伯父の平国香(たいらのくにか)、良兼、良正らと合戦を繰り返しました。
承平五年(九三五)常陸(ひたち)(茨城県)の国蚕飼川(小貝川)に戦ったおり妙見菩薩が将門と平良文の危機を救い、
「自は上野の国、花園と云う寺に在り、汝(なんじ)若(も)し志あらば速やかに我を迎え取るべし。」と述べたと記されています。現在の群馬町妙見寺のことです。

「将門記(しょうもんき)」によると、将門は天慶(てんきょう)二年(九三九)平貞盛(さだもり)(清盛、織田信長の先祖)に挑発され、常陸国衙を焼き払い、国家に対する反乱の第一歩となりました。
こののち下野(しもつけ)、上野(こうずけ)、相模(さがみ)など諸国の国衙をも制圧して、弟やおもだった従者を関東諸国の国守に任じ、みずから〈新皇(しんのう)〉と称しました。
当時の朝廷は、藤原氏が政権を独占し、群盗がはびこる荒れた時代でした。この反乱は、律令体制からの関東の自立をはかったといわれ、武力による独立国家を主張したとも伝えられています。
当時の朝廷は、藤原氏が政権を独占し、群盗がはびこる荒れた時代でした。この反乱は、律令体制からの関東の自立をはかったといわれ、武力による独立国家を主張したとも伝えられています。
しかし天慶三年二月十四日、平貞盛、藤原秀郷(西行、奥州藤原氏の先祖)らの軍勢により、現在の茨城県坂東市(元岩井市) で、39歳(諸説在り)にて亡くなりました。
戦いに敗れた将門の一族残党は各地に隠れ住むようになり、たくさんの伝説は、飯能市近在では秩父、青梅市・奥多摩町・八王子市から山梨の大月市に至っています。
戦いに敗れた将門の一族残党は各地に隠れ住むようになり、たくさんの伝説は、飯能市近在では秩父、青梅市・奥多摩町・八王子市から山梨の大月市に至っています。
中央の歴史では、将門公は大悪人とされていましたが、当時の関東の民衆は、拍手喝采だったのでしょう。後々関東以北に将門公を悼(いた)み多くの神社などが建てられました。
この流れが、鎌倉幕府の成立につながっていきます。幕府設立に尽力した坂東の勢力は、かつて将門に敵対した勢力も多いのですが、源頼朝をはじめ、将門反乱時に活躍した人々の子孫が数多くいます。
鎌倉幕府設立は将門の意志を受け継ぐ敵討ちだったという人もいます。それは源氏対平家の戦いではなく、実際は平家(平将門勢)対平家(平貞盛、藤原秀郷勢)の戦いだというのです。頼朝配下に入った実力者の名前を見ればそのように思えます。
源義経は、このことも理解していなかったための悲劇だったということでしょう。
将門公を支援した勢力に筑波山の修験がいたという説があります。一族と共に逃れ住み、後世に山伏が多くの伝説を伝えたのだそうです。
この流れが、鎌倉幕府の成立につながっていきます。幕府設立に尽力した坂東の勢力は、かつて将門に敵対した勢力も多いのですが、源頼朝をはじめ、将門反乱時に活躍した人々の子孫が数多くいます。
鎌倉幕府設立は将門の意志を受け継ぐ敵討ちだったという人もいます。それは源氏対平家の戦いではなく、実際は平家(平将門勢)対平家(平貞盛、藤原秀郷勢)の戦いだというのです。頼朝配下に入った実力者の名前を見ればそのように思えます。
源義経は、このことも理解していなかったための悲劇だったということでしょう。
将門公を支援した勢力に筑波山の修験がいたという説があります。一族と共に逃れ住み、後世に山伏が多くの伝説を伝えたのだそうです。
また、将門伝説(村上春樹著)によると、江戸時代の将門公に関連する演劇も伝説に大きな影響を与えているようです。
江戸時代には将門を祀る「神田明神(神田神社)」は武州の総社、江戸の総鎮守となりました。神田祭は京の祇園祭、大阪の天神祭とともに日本三大祭とされています。
江戸時代には将門を祀る「神田明神(神田神社)」は武州の総社、江戸の総鎮守となりました。神田祭は京の祇園祭、大阪の天神祭とともに日本三大祭とされています。
東京の平将門を祀る寺社
神田明神(神田神社) 東京都千代田区外神田2-16-2 神田明神 リンク

将門首塚 東京都千代田大手町1-1-1

神田明神の舊地。 将門公の首が埋められているところと伝えられている。
神田山日輪寺 東京都台東区西浅草3丁目15-6

兜神社(祠) 東京都中央区日本橋兜町1-12

田原藤太が将門の兜を埋めたところ。 いろいろな説がある。
築土神社 東京都千代田区九段北1-13 筑土神社 リンク

よろい(鎧)神社 東京都新宿区北新宿3丁目16-18 鎧神社 リンク
藤原秀郷が将門公の鎧を納めた。
藤原秀郷が将門公の鎧を納めた。

筑土八幡神社 東京都新宿区筑土八幡町2-1

氷川神社・太刀佩観音 東京都板橋区東新町2-16-1
上平川村観音堂の本尊仏(将門の像とも)を蔵し、将門親筆の写経紙片を伝うという。(『平将門故蹟考』)
上平川村観音堂の本尊仏(将門の像とも)を蔵し、将門親筆の写経紙片を伝うという。(『平将門故蹟考』)

豊かな自然を残している。
金剛寺 東京都青梅市天ケ瀬町1032

海禅寺 東京都青梅市二俣尾4丁目962
将門の位牌を祀る。紋は七曜星


将門の子孫・三田氏の墓
天寧寺 東京都青梅市根ケ布1丁目454 天寧寺 リンク

鷹巣神社(将門明神) 東京都西多摩郡奥多摩町川井 不明
将門神社 東京都西多摩郡奥多摩町鳩の巣(棚沢)

旧多名澤神社
※将門山(三面不動尊) 棚沢・将門神社近く

根元神社内将門神社 東京都西多摩郡奥多摩町氷川1804
峰畑より遷宮

将門神社 東京都西多摩郡奥多摩町氷川字三ノ木戸

三ノ木戸の道路の行き止まりから小道を左に折れ、すぐ。 四社が祀られている。どれかは不明。
絹笠神社 東京都西多摩郡奥多摩町氷川字絹笠 廃屋が並ぶ
将門神社 東京都西多摩郡奥多摩町氷川
氷川には三、四社あるようだ。
氷川には三、四社あるようだ。

奥多摩町氷川の山中より写した奥多摩町中心地
※七つ石神社 東京都西多摩郡奥多摩町日原 山梨県との境 将門を祀る
旧くは、七つの石(将門の家臣の化身)がご神体
旧くは、七つの石(将門の家臣の化身)がご神体
将門明神社 東京都八王子市上恩方 将門神社 リンク

更に詳しく調べたい方は、円泉寺のホームページで、ご確認下さい。
資料集 リンク
この記事へのコメント